今年のサミットは、洞爺湖で行われることや、地球温暖化や原油・食糧価格の高騰など身近な問題がテーマになっていることもあって、関心をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
そこで、これまでのサミットを簡単に振りかえってみました。
1970年に入り、1971年のニクソンショックと呼ばれている「金ドル交換停止」、1973年の第4次中東戦争、石油輸出国機構(OPEC)の原油価格引き上げによる第一次石油危機後の世界的不況など、さまざま問題が起きてきました。
当時のフランス大統領ジスカール・デスタンは、指導者たちが顔をあわせ、これら諸問題への対応を協議するために、主要国首脳会議「サミット」の開催を提唱しました。
1975年第1回サミットはフランスで開催され、参加国は日本、米国、英国、仏、独、伊の6カ国でしたので、この時はG6(Group of Six)と呼ばれました。翌1976年にカナダが加わって7カ国になり、G7となりました。1977年のロンドンサミットからは、欧州連合の委員長が参加。1997年からロシアが正式参加して8カ国になり、G8と呼ばれるようになりました。
日本国内の開催としては1979年と1986年、1993年はいずれも東京で開催され、2000年は沖縄で開催されました。洞爺湖サミットは5回目になります。
実は、2000年のサミットでは、北海道、千葉県、横浜市、大阪府、広島市、福岡市、宮崎県、沖縄県が開催地として立候補しており、沖縄県は、外務省や警察庁が宿泊・交通・警備の問題などを検討した結果、最も低い評価だったそうです。
しかし、当時の小渕恵三首相が沖縄でのサミット開催を決断したそうです。
早大の学生時代に沖縄返還運動に携わり、初入閣も沖縄開発庁長官と沖縄には縁の深い小渕首相は、『沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』という大田実海軍中将の言葉を重く捉え、サミット開催による経済効果とともに、沖縄が世界の注目を集めることを考慮して決断したそうです。
そういえば、首里城の「守礼の門」が描かれた2000円札は、沖縄サミット開催を記念して発行されたのでしたね。