アメリカで誕生したこのアースデイ、1970年、ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員が、4月22日を「地球の日」であると宣言をしたことから始まりました。その後、当時全米学生自治会長をしていたデニス・ヘイズ氏によって史上最大の市民運動として組織され、アースデイを通して、人々は環境のかかえる問題に対して関心を持つようになりました。
日本でのアースデイは、「1990年のアースデイを出発点とし、90年代を国際環境の10年にしよう」という呼びかけに賛同した人びとが、日本連絡所を結成、日本全国の市民団体、環境団体に呼びかけて始まりました。 今年も、日本各地で、19日(土)・20日(日)を中心に、多彩なイベントが準備されています。
アースデイJP : http://www.earthday.jp/
以下は、「アースデイ長野2002」の実行委員長を務められた、C.W.ニコル氏のメッセージです。(アースデイ長野2002プレスリリースより抜粋)
アースデイがはじまった1970年頃、いったい何があったか。ベトナム戦争が激しくなっていました。それでアメリカは、枯葉剤というダイオキシンが入った薬をベトナムの森に落とし始めたんです。この薬の被害は、今も尾を引きベトナムは苦しんでいます。 ちょうどそのころスウェーデンのストックホルムで行われた国連人間環境会議で、いろいろな国々がアメリカの枯葉剤に対する非難が集中しました。しかし、アメリカは、現状を回避するためにクジラの保護を訴え、反捕鯨の運動を非常に激しくおこなったのです。「ダイオキシンと捕鯨とどっちが悪い」という議論になりました。 そんな国際情勢の中、アースデイの考えを持っている人たちが「ちょっと待ってよ。これは政治的な問題じゃない。誰が悪い、誰が良い、とういうことじゃなくて、誰が何をするべきか、みんな集っておおいに議論をして、われわれの地球のことを考えようじゃないか」と始まったのがアースデイです。僕は、日本の自然が大好きでしたし、大好きです。だから長野に住んで22年になります。しかし黒姫に住んで最初の年から原生林がバサバサ切られた。川が暴れる。だんだん自然が破壊される。そして熊が出るからといって有害駆除で獲られたり。オリンピックは、長野に便利な新線、便利な道とともに大量の産業廃棄物をもってきました。・・・・・
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